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「タックルの季節」 DB#34山本章貴

 フットボールの季節。秋から冬へ。哀愁が深みを増していくこの時季に心を熱くする選手がいる。 鹿島DEERS 山本章貴。一撃のタックルに賭ける彼のすべて。


「近頃のタックルはなよなよしいですなぁ」
 オールドファンの嘆きが聞こえてきそうである。
 技術の進歩がタックルを変えた。今やフットボール界の主流はボールを殺しにいくタックル。つまりは、相手の突進を食い止めながらもファンブルを誘発して、あわよくばターンオーバーを奪うというタックルにどのチームも熱を入れる。その弊害と言ってはなんだろうか。所謂オヤジ世代以上が知るところの、相手の足首を狙うようなタックルはほとんど見られなくなった。
 タックルだけで入場料が取れる、そんな選手が昔はチームに一人はいたものだが、そのフレーズも死語になりつつある。だが、ここに年代もののタックルを見せる魂のタックッラーがいる。

 鹿島DEERS #34 DB 山本章貴。
 彼のタックルを見れば、きっとオールドファンも納得してくれるに違いない。
「あれが本物のタックルだよ」と。

IBM戦の山本選手  山本の特徴は、低く強いタックル。
"目の覚めるような"という表現がピタリとあてはまるようなタックルを身上としている。
 身長172cm、体重74kg。40ヤード走のタイムもそれほど速いわけではない。しかし、何よりもハートが強い。気持ちを前面に出し、どんなに速いキャリアーもどんなに強いランナーにも激しいタックルを見舞ってきた。
 守備コーディネーター有澤玄コーチは、山本についてこうコメントしている。
「彼はハートがいいし、試合の流れを変えられるようなタックルを持っている。研究熱心で真面目ですね。そういう選手が試合に出て活躍するというのは、チームに計り知れない効果をもたらします」
 身体能力を補って余りある彼の強い気持ちと、フットボールに対する真摯な態度が、チームメイトにも多大な影響を与える。そうやって、彼はチームを引っ張り、自らのポジションをも確立してきた。
 そして、そんな彼のタックルを愛するファンは多い。

 山本がフットボールに出会ったのは、15歳の春。中学で野球部に所属していた山本は、都立西高校でも野球を続けることを希望していた。しかし、蓋を開けてみれば、それまで見たこともないフットボール部に入部していた。理由のひとつは「ぱっとしなかったから」。野球がだめならラグビーと考えていたが、残念ながら西高校にラグビー部は存在しなかった。運命とはそんなものなのかも知れないが、仕方なく体験入部をしてみたフットボールを、その後、約2倍の齢を重ねた現在でも続けているのだ。
 高校でのポジションはRB。当時、国内を席捲していたトリプルオプションの中核を担うTBでプレーし、都下では名の知れたランナーだった。しかし、彼の活躍も虚しく3年時チームは都大会ベスト8で敗退。
 この頃、山本は大学でもフットボールを続けることを決意し、どうせやるなら文武両道の最高峰、京都大学Gangstersでプレーすることを自らに誓っていた。

ヘルメットを脱ぐ山本選手  一年の浪人期間を経て、山本は京都大学に合格。憧れていたGangstersに即入部したのかと思いきや、いざとなると少し戸惑いがあったという。
「やっぱり怖いというか、軽い気持ちでは入れないイメージだったんです」と山本が振り返ったのは1998年当時。京都大学は1994年のライスボウル制覇、1995年の甲子園ボウル優勝以来、頂点からは遠ざかっていたが、それでも学生日本一を知るメンバーが多く残っており、関西学生リーグの強豪に違いはなかった。当然の如く練習は厳しく、山本はこの環境でやっていけるのかと不安になった。だが、結局は意志を貫き、山本は入部を決めたのだった。
 Gangstersで最初に与えられたのは高校時と同じRB。しかし、チーム内のDB不足が原因で3ヶ月後にポジション変更を指示される。このコンバートが、その後の彼の代名詞でもあるタックルの原点になるわけだが、当時はそんなことを知る由もない。ただ、ひたすらにタックル練習に打ち込んだ。
「とにかく練習はしましたね」と、当時を語った山本。「監督が言うんですよ。『タックルは痛い。けれど痛いからって練習しなかったらいつまでもうまくならない』と」。巨頭、水野弥一監督は、練習内容について多くを語らなかったが、嫌なことを避けるなと選手たちに言い聞かせていたという。
 そして、山本と同時期にプレーしたことはないが、京都大学から鹿島DEERSの道を歩んだ先輩 安澤武郎は、京都大学のタックルについてこう語った。「5回生コーチと真剣勝負をしているから強いんですよ」。タックルの練習台となってくれる5回生と形だけではなく、真っ向勝負をする。これが京都大学の低くて強いタックルを創りだすのだと言う。加えて「色々な種類のタックル練習がありましたけど、そんなのは小手先に過ぎない。要は練習から本気かどうか。当時は、絶対に相手の足を折ってやると思ってタックルしていました。骨なんて簡単に折れるものではないので、現実には一度も折れませんでしたけど(笑) 当時は、本気でした」と懐かしんだ。なに、そんなこと。普通の練習だよ。そう言わんとする安澤のコメントに京都大学の強さを感じたが、山本もまたそんな環境で鍛錬し、自らの武器を身に付けたのだった。

山本選手のタックル 「今まで、これだ! っていうタックルをできたことはないです」
 過去に一番よかったと思うタックルを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「究極の理想は痛くないタックルなんですよ」。山本が追い求めるのは、ボールを持っている側もタックルする側も痛くないタックルだと言う。つまりは、お互いの芯を食う。見た目には激しいが、実際はお互いに痛くない。それが理想なのだそうだ。
 電流が突き抜けるような激しい衝突のイメージが強い山本のタックル。本人もそれを望み、その勝負に強い気持ちが必要なのではないのか。そんな問いかけを本人はきっぱりと否定した。「結果として衝突になっているかも知れませんが、それは理想ではありません。強い気持ちは必要ですが、それは痛みに耐える強さではなく、相手の懐深くに踏み込んでいく勇気だと思います」。究極のタックルを実現させるために必要なことは、踏み込みの深さだと山本は語る。ボールキャリアーとの距離を詰めていく段階で、走るコースを限定させ、相手が行き場をなくしたところに、踏み込みの深いタックルを見舞う。これが、山本の目指すタックルである。
「実際は難しいですよ」と山本が言うように、言葉にすれば簡単な理想のタックルも、瞬間的にさまざまな憶測が脳裏を過ぎり、踏み込みを躊躇させてしまう。かわされてしまうことの惨めさ。失敗することの恐怖。ディフェンスの最後の砦はミスをすれば、即、得点に繋がってしまう。そんな重圧が、思い切りのよさを鈍らせ、結果、手で相手を捕まえるだけの弱々しいタックルになってしまうのだと山本は説明した。そして、そのプレッシャーを振り切るためには「練習しかないです。技術の向上という意味でも、ここまでやったという境地にいく意味でも、何度も何度もタックルするしかありません」と話した。

ハドルの中 あなたにとってタックルとは? 最後の質問に山本はこう答えた。
「自分を映す鏡でしょう」
 頭では理解していても、イメージだけで理想を表現できるほど、タックルは甘いものではない。練習を繰り返し、相手に踏み込んでいく勇気を養う。その努力が試合の大事な場面で、怯むことのないタックルに繋がっていくのだと山本は信じて疑わない。タックルは嘘をつかない。その想いを胸に山本は黙々と練習に励む。

 タックル。
 それはただ、相手を倒すという極めてシンプルな行為である。
 そのシンプルさ故、様々な形容詞をつけて表現されることが多い。
 炎のタックル。魂のタックル。気合のタックル。
 その、寄り添う闘魂系の形容詞とは裏腹に、タックルに付き纏うのは悲壮な覚悟だ。
「死んでも止めてきます。試合に出られない奴のために―」
 人々はこのカタルシスに感情を移入し心を奪われてきた。

 山本章貴。彼のタックルもまた哀しい。
 痛くないタックルは、痛い思いを積み重ねてこそ完成する。
 肉体を覆い包む疵(きず)が語る痛み。精神を支配する苦しく辛い過去。
 その全てを圧伏したとき、彼の迷いは消える。
 怖れを勇気に変えたタックルが唸りを上げ相手を飲み込む。
 わずか10秒足らずの間に凝縮されたこの物語を見届けたオールドファンは頷き呟く。
「これが本物のタックルだ」

 (文:岩根 大輔)


Profile
  【やまもと あきたか】1979年4月22日生まれ 29歳 172cm 74kg 出身地:東京都
ポジション:DB 所属:杉並区立和田中学校−東京都立西高校−京都大学−鹿島
詳細プロフィールは「Members」ページをご覧下さい。


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