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抜群のスピードで学生フットボール界を席巻した永川に、ここ数年、次々とアクシデントが襲い掛かった。昨年は2度体にメスを入れた。それでも不運だと感じたことは微塵も無い。アクシデントを糧に、彼が導き出した答えに迫る。 |
どれほどの殺気かと構えていた。 束の間の安堵はすぐに覆される。 パールボウルトーナメントを戦う鹿島DEERSのとある週末の昼下がり。 グランドのあちらこちらで明るい声が飛び交い、和やかな雰囲気で練習は始まる。 だが、ウォーミングアップが終わる頃には、空気がぐっと引き締まり、やがてうだるような湿気は聖なる熱気へと変わりグランドを覆いつくした。 とりわけ、チームの元気印、WRの変貌には目を奪われる。 つい先ほどまで、楽しげにアップをしていたかと思えば、ボールを扱う練習が始まった途端に顔つきが変わる。練習のクライマックス、スクリメージが始まると、どこまでもハングリーに眼前のゲインにこだわる。 そして、練習終了を告げるハドルが解かれるやいなや、いつもの陽気な姿へと返っていった。 「入部したての頃は、戸惑いましたよ。めちゃくちゃやって(笑)楽しく練習するんですけど、大事なところはもの凄く真剣にやるんですよ。でも、一年かけてやっとこの雰囲気に慣れました」 2年目を迎えたWR永川勝也は、そう言って白い歯を覗かせた。 ![]() 勝因は重厚なラン攻撃と粘り強い守備。 そう記せば、もはや常套句と新鮮味を欠くが、もう一つ、WRの一発タッチダウンの脅威がチームに新しい風を吹き込み、堂々と主役を張るまでになった。 パワーで対面を圧倒する前田直輝。ランアフターキャッチが魅力の中川靖士。キャッチングセンスが光る岩井悠二郎。 ポジションのユニットとしての成熟度というよりは、煌く個々の才能が、看板のラン攻撃と絶妙な化学反応を起こし、一層重くて太い結束力となって、長く跳ね返され続けた壁をぶち破った。 「プレースタイルはバラバラですね。WRは個性豊かで、真似しようと思ってもできないし、自分のスタイルを確立しないと使ってもらえないです」 そして、永川勝也。 彼の真っ直ぐに速いスピードもDEERSの攻撃に新たな可能性をもたらすはずだった。 「僕は、前田さんみたいに強くないし、悠二郎さんみたいにキャッチもうまくないです。でも、スピードには自信があります。だから、スピードを生かしたランアフターキャッチで勝負したいです」 だが、シーズンが終わるまで、彼の武器が輝きを放つことはなかった。 「レギュラーの選手との差は凄く感じていました」 その言葉が示すように、シーズン大詰めのジャパンXボウルとライスボウル、永川は僅か2回の捕球を記録するにとどまった。 前田と岩井がそれぞれ、計9回と6回の捕球を記録し、勝利を引き寄せる決定的な働きをしたのとはあまりに対照的な結果だった。 一年間、永川を間近で見続けた志田達也WRコーチも「スピードとランアフターキャッチを期待されて入ってきたけど、けがもあって力を発揮しきれてなかった」と、昨シーズンの永川を評した。 彼の武器は、自らのものとして確立されていなかった。 【アクシデント】 永川の大学の先輩にあたるWR大谷慎哉は、永川が関西大学に入学する直前に聞かされた話を鮮明に覚えている。 「学生コーチをしている時でした。他のコーチに『お前を超える逸材が入ってくるぞ』と言われて。そうしたら本当に良い選手でしたね」 その約1年前。当時高校2年生のLB大舘賢二郎は、対戦相手だった、3年生のQB永川を「スピードがあるし、良いQBだな」と感じながらプレーしていた。 兵庫・仁川学院高等学校。ここで、永川はフットボールに出会う。 「中学は野球をやっていて、高校でも続けようかなと思っていたんですけど、グランドに行ったらフットボールが楽しそうで」 大それた野望など無かったが、それで十分だった。 高校時代の成績は、全国大会には出場するものの上位には食い込めず。 それでもダイヤの原石は、さまざまな所から注目されていた。 いくつかの誘いの中から、関西大学への進学を決めた永川。 「やってみようかな」と転向したWRですぐに花開く。1年生からレギュラー。 「たまたまレギュラーの先輩がたくさん卒業された後だったので」と、本人は謙遜するが、それでも簡単に確保できることではない。 2年生の時には、関西学生オールスターのニューエラボウルに出場。 「同じチームに中川さんと前田さんがいたんですよ。凄い刺激を受けました」と目を輝かせていた。 「気持ちの良い選手やったよ。技術も図抜けていたけど、何より気持ちが前面に出る。今はあんな選手なかなかいないね」 永川を2年生時から指導した板井征人ヘッドコーチ(当時オフェンスコーチ)は、学生時代の永川についてそう語ったが、後に彼が主将に指名される理由は、おそらく既に存在していた。 その年の冬にはU-19JAPANに選出される。まさにとんとん拍子で階段を駆け上がった。 大学3年の秋、順風満帆の永川をアクシデントが襲う。 関西学院大学戦で、パスをキャッチした後、3人のディフェンダーに囲まれ、左肩を脱臼した。 「もう一度脱臼したら手術をしよう」 最終学年を前にし、永川は手術を回避してチームと共に行動することを決めた。 だが、その賭けは裏目に出る。 攻撃のリーダーとして迎えた4年の春、2度目の脱臼。 待ったなしの秋本番を数カ月後に控え、手術という選択肢は残されていなかった。覚悟を決めるしかなかった。 そして、夏。 永川は主将に指名される。 主にラインの選手が主将を務めることが多いフットボールにおいて、WRの永川が大役を担うことは、本人にとってもチームにとっても大きな選択だったが、主将に就任してからの永川は「おとなしい選手が多かった」という学年の先頭の立ち、チームを鼓舞し続けた。 「重圧はありましたよ。メンバーも良かったので、絶対に二強を倒さなきゃと思っていました」 それまでの2シーズン、3位の成績を収めていた関西大学には、関西学院大学、立命館大学という関西学生リーグ二強の壁を超えるという大きな命題があった。 周囲の期待も痛いほど感じていた。 しかし、想定外のけが人が相次いだチームは思うような上昇気流に乗れず、終わってみれば、二強を倒すどころか、リーグ戦は5位と惨敗した。 「悔しい。それしかなかったですね」 その言葉を残し、永川の学生フットボールは幕を閉じた。 【DEERS1年目の苦闘】 ![]() 4月にDEERSに入部した後も懸命にリハビリを消化。 「手術明けはフットボールをするのが怖かったですよ。体も細くなっていくし、感覚も薄れていくようで」 初めての長期離脱。不安は尽きなかったが、それでも、春の2戦目から戦列に復帰した永川は、夏の練習を経て徐々に感覚を取り戻し、秋のリーグ初戦、ブルザイズ戦では、QB尾崎陽介からの31ヤードのロングパスを胸に収め、社会人初となるタッチダウンを記録した。 さぁ、これから。 そんな矢先、再びアクシデントが永川を襲う。 「練習でパスルートを走っていた時ですね。トップスピードから方向を変えようとストップした時に変な音がして。自爆でした」 右足第5中足骨骨折。 選手生命に関わるほどのけがではなかったが、シーズン中の復帰を考えれば、即手術が必要だった。 「調子が上がってきているなという実感があったので、残念でしたね」 永川は、シーズン2度目のリハビリ生活を余儀なくされた。 そんな折、驚きのニュースが舞い込む。 後輩たちが、61年ぶりに関西学生リーグを制し、甲子園ボウル出場を決めたのだ。リーグ戦序盤に関西学院大学、立命館大学を次々に撃破。全勝での完全優勝だった。 「昨年は試合に出ていなかった選手が活躍していたり、僕の知らない1年生が出ていたり、チームが成長しているなと感じましたね。選手の体も大きくなっていたし、純粋に凄いなと思って見ていました」 勢いに乗った後輩たちは、甲子園ボウルでも法政大学を50−38で破り、ライスボウル出場を決める。 その翌週。今度はDEERSが、ジャパンXボウルで12年ぶりの勝利を掴み、ライスボウルへの出場を決めた。 永川は、11月の吹田マーヴィーズ戦で戦列に復帰し、ジャパンXボウルにも出場したが、夏場に調子を上げていた時とは程遠い動きだった。 「後輩たちが勝ち進んでいるのは凄く嬉しかったです。でも、ライスボウルで対戦するのは複雑でしたね」 大谷は永川の複雑な心境をこう代弁した。 「ついこの間まで一緒に戦った仲間との対戦で、コーチや後輩に、自分の成長した姿を見せたいって、誰でも意気込むはずですよ。それが、自分の思い通りのプレーができないし見せられない。色々と考えることはあったと思いますよ」 ライスボウルの試合前、永川は恩師である磯和雅敏関西大学監督や、後輩たちと会話を交わしたと記憶していた。 ただ、「内容はほとんど覚えていないんですよね」と回想したように、どこか、心に靄がかかっていた。 「優勝できたことは良かったです。でも、僕自身は何もできなかったので。嬉しいけど…悔しかったです」 社会人一年目もまた、「悔しい」という言葉を残してシーズンを終えた。 ![]() 【自分らしく】 5月15日、DEERSの2010シーズン開幕戦、対富士ゼロックス戦で、永川は4回捕球55ヤードを記録した。 昨年の同時期、リハビリに明け暮れていたことを考えると、順調な滑り出しに思えたが、本人は「まだまだですよ」と、内容には納得していないようだった。 「中川さんが、ランアフターキャッチでタッチダウンしたでしょ。僕にもチャンスはあったけど、中川さんみたいにフィニッシュまでもっていけなかった。あのレベルまでいかないと」 同じ4回捕球の中川が2タッチダウンを記録したことに触れ、自らの課題を淡々と整理していた。 続く、日本ユニシス戦。第3クォーターに永川らしい縦のスピードを存分に生かした走りでパントリターンタッチダウンを奪ったが、試合後は初戦と同じように「タッチダウンのリターン以外でももっと走れたと思います」と語ったように、目指しているレベルはさらに高いところにあると自分に言い聞かせているようだった。。 「昔、板井さんが、言っていたんですよ。トレーニングをやらない奴も、とりあえずトレーニング室に顔だけでいいから出せって。そしたら、顔を出すだけでは済まないようになって、トレーニングもやるようになるって。社会人になってからは忙しくて、満足にトレーニングの時間を取れないんですけど、仕事帰りの夜や、グランドでの練習後に少しだけでもやろうと思って、トレーニング室に寄るようになりました」 これまでのアクシデントも全て自分の責任と言う永川は、日本一の余韻に浸る間もなく、1月からトレーニングを再開した。 「しんどいけど少しでもやろうという気持ちが全てを動かすんですよね。板井さんの言っていたことが少しわかってきた気がします」 トレーニング開始から半年近くじっくりと積み上げた永川の体は明らかに一回り大きくなった。 「ポジションの練習はいつでも一番にやるし、向上心を出すようになった」と、志田コーチも永川のグランドでの取組みが変わったと話す。 「DEERSのWRはみんなスタイルが違うし、各々が凄いんですけど、全員が一人ひとりを尊敬していると思います。周りの良いところは認めるし、悪いところは直すようにと言い合える。そんな雰囲気だから、僕は僕らしく自分のスタイルを確立できればいいと思っています」 悔しい気持ちを持ち続けた永川だからこそ表現できる自分らしいスタイル。その先には、「今年こそ戦力になって優勝に貢献したい」という思いがある。 その気持ちが続く限り、彼は彼なりの方法で、自らのスタイルを築き上げるだろう。 ライスボウルで、もう一度母校と戦いたい?そんな質問にも彼は、笑顔でこう言った。 「その時にならないとわからないかな。でも、今は目の前のことを一所懸命にやることを考えています」 どこまでも彼らしい道は、秋に辿りつくはずのゴールへしっかりと続いている。 (文章:岩根大輔) Profile 【ながかわ かつや】1987年1月7日生まれ 23歳 173cm 75kg 出身地:兵庫県 ポジション:WR 所属:仁川学院中学−仁川学院高等学校−関西大学−鹿島 詳細プロフィールは「Members」ページをご覧下さい。 ![]() 「覚悟の秋」QB#10 尾崎陽介選手 「タックルの季節」DB#34 山本章貴選手 「超新星の野望」WR#18 前田直輝選手 「継続は力なり」OL#52 渡邉勇士朗選手 「折れない気持ち」DB#23 栄貴浩選手 |
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